心配されるということ♡
みなさん、子供の頃だったり、体調を崩したときだったり、
どなたかに心配された経験ってあると思いますが、
今日は面白い比較を書いてみようかと思います。
(わたしが面白いだけかもしれませんが。笑)
〜シーン1〜
「もしかして、心配してくれた?」
恋愛ドラマなどで時々見かけるシーンを再現した文なのですが、
ニュアンス掴めますでしょうか?笑
この場合の" 心配 " は、
「あなたのことを想っています。」
「あなたのことを気にかけています。」
何なら
「あなたのことを愛しています。」
という感じでしょうか。
続きまして。笑
〜シーン2〜
「だから言ったのに。。。あなたの事を想って言っているのよ。」
と親御さんに言われたことありませんか?笑
こちらの場合は、" 心配 " という言葉こそ使われていませんが、
めちゃめちゃ心配されている状態に見えます。笑
「あなたのことを想っています。」 ん?本当に?
「あなたのことを気にかけています。」 え?本当にそう?
「あなたのことを愛しています。」 うーん。。。
と後ろに何かコメントしたくなったりして。笑
この二つのシーンにおける、” 心配 " の違いというか、
受け取った側の軽さと重さの違いというか、
それが不思議だなぁと思いました♡
どうして、嬉しい気持ちと、ちょっと鬱陶しい気持ちが生まれるのかなー、面白いなーって。
(勿論、どちらも嬉しいという方や、どちらもちょっと心地悪いと受け取る方もいらっしゃると思いますが、これはこれと仮定して話していきますね。そして、その答えは特に追求しないのですが。笑)
ここからが、わたしなりの結論というか本題です♡(遅っ。笑)
心配されるということを、喜ぶのか悲しむのか、
(あるいは受け取るのか拒否するのか)
わたしたちには それを選べる自由があります。
そして、同じように、
心配している側の方が、気にかけていることも、心配していることも、
それを選ぶ自由がある。ということです。
どちらの側だとしても、最終的な選択は本人がしたものなので、
本人がそうしたくて(認識してない場合も多いです♡)そうしたこと。
だから、それでいいんだと思います。
なんか そう考えてみたら、そう捉えてみたら、
自分にも、相手にも ほっこり温かい風が吹きませんか♡
本当は どんなことも、
すべてが 愛に包まれています♡
今日もありがとうございます♡
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